大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和29年(行)7号 判決

原告 藤原治三郎

被告 大阪国税局長

主文

被告が昭和二八年一一月一〇日原告に対し、原告の昭和二六年分所得につき、所得額を五九五万九、六八七円としてした審査決定のうち、所得額五八〇万九、五一七円をこえる部分を取消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事実

第一、双方の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二八年一一月一〇日原告に対してした原告の昭和二六年分所得に関する審査決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

被告訴訟代理人及び指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、原告は、訴外堺自転車株式会社の代表取締役であり、肩書住居地に自宅及び貸家四戸、堺市九間町に貸家五戸を所有している者である。

二、訴外堺税務署長は、昭和二七年四月二二日原告に対し、原告の昭和二六年分所得及び所得税について、左のとおりの内容の更正決定をした。

事業所得    五、五四〇、六八七円

給与所得      三九〇、〇〇〇円

配当所得        八、〇〇〇円

不動産所得      二一、〇〇〇円

所得合計額   五、九五九、六八七円

源泉徴収税額    一一二、五〇〇円

所得に対する源泉徴収税額を差引いた後の所得税額 二、九八九、三八〇円

無申告加算税額   四四八、三五〇円

重加算税額   一、四九四、五〇〇円

右更正決定に対し、原告は昭和二七年五月二一日堺税務署長に対して再調査の請求をした。この請求書が当時の所得税法四八条一項ただし書、四九条一項により審査請求書と認められ、被告から補正を命じられたので、原告は右再調査請求書を審査請求書に改めた。

被告は、昭和二八年一一月一〇日付をもつて原告に対し、原告の右審査請求を棄却する旨の決定をした。

三、右審査決定のうち、更正決定中の事業所得及び不動産所得の認定を維持した部分は違法である。事業所得は存在しない。また不動産所得は、前記貸家の昭和二六年中の家賃収入が四万一、〇四〇円であるのに対し、同年中に修繕費二万二〇〇円、及び固定資産税七、九〇〇円を支出しているので、これを控除すると一万二、九四〇円である。

四、右審査決定のうち、更正決定中の無申告加算税及び重加算税の課税処分を維持した部分は違法である。すなわち、昭和二六年分所得税の確定申告期限は昭和二七年三月一五日であつた。ところが、原告は、同月一〇日突然被告から査察を受けるとともに所得税逋脱の容疑で逮捕勾留され、身柄を拘束されている間に右申告期限が経過した。このように、被告自ら原告をして申告することができない状態に置いておきながら、無申告呼ばわりをすることは不当であり、無申告加算税を課する要件を欠くものというべきである。同様に重加算税の課税も要件を欠き違法である。

五、本件審査決定には、右三、四項記載の違法があるから、その取消を求める。

第三、被告の答弁及び主張

一、原告の主張一、二の各項の事実は認める。

二、原告の事業所得について。

原告は、昭和二五年秋頃から、手持の遊金をもつて手形の割引または小切手の交換等の方法による闇金融を開始し、漸次その規模を拡大し、遂には知人の遊資金を借入れこれを原告の名で他へ貸付けるようになり、副業転じて本業の観を呈するようになつた。

原告の金員貸付先、元金累計、昭和二六年中の利息等は別表のとおりである(同表の貸付先のうち17の堺機工株式会社は、同会社が貸付先と認められない場合は仮定的に同会社代表者尾崎喜一郎を貸付先と主張する。)。原告が昭和二六年中に得た利息の総額は五九二万四、三二七円である。これから、原告が他への貸付資金として知人から借入れた金員に対する同年中の支払利息金三六万八、四六〇円を経費として差引いた五五五万五、八六七円が、原告が同年中に利息として得た所得である。そして、原告の他への金員貸付は、営利を目的として継続的に行なわれていたものであるから、右所得は事業所得に該当する。

なお、事業所得の計算上、その年中の総収入金額とは、その年中に収入すべき金額の合計額すなわちその年中に確定(または発生)した利息請求権の合計額をいう(権利確定主義または発生主義)。その年中に現実に受領した利息金の合計額をもつて総収入金額とするものではない。

三、原告の不動産所得について。

原告の昭和二六年中の不動産収入は、堺市九間町所在の貸家五戸に対する家賃収入一万六、二九〇円(同年一月から三月までは一ケ月一、〇二〇円、四月から一二月までは一ケ月一、四七〇円)、同市北田出井町所在の貸家四戸に対する家賃収入二万八、八〇〇円(一ケ月二、四〇〇円)、合計四万五、〇九〇円である。これから経費として、右家屋の同年中の固定資産税七、九〇〇円及び修繕費二万〇、二〇〇円を差引いた一万六、九九〇円が原告の同年中の不動産所得である(註=被告の答弁書に一万〇、五六四円とあるのは、違算と認められる)。

四、よつて原告の昭和二六年中の所得金額は、事業所得五五五万五、八六七円、不動産所得一万六、九九〇円、給与所得三九万円、配当所得八、〇〇〇円、以上総額五九七万〇、八五七円である。原告の所得の認定に関する本件審査決定は適法である。

五、無申告加算税及び重加算税の課税について。

原告が昭和二七年三月一〇日逮捕され、引続き勾留されたことは認める。しかし、昭和二六年分所得税の確定申告の期限は昭和二七年二月末日である(昭和二八年法律第一七三号によつて改正される以前の所得税法第二六条)。原告は、逮捕勾留されたために申告期限を徒過したのではない。無申告加算税及び重加算税の課税処分を是認した本件審査決定は適法である。

第四、原告の反論

一、原告の貸金に関する別表記載の被告主張のうち、原告が小沢自転車製作所に金員を貸付けたことは争うが、その他の貸付先に金員を貸付けたことは認める。その延回数、元金累計、昭和二六年末貸付残高はいずれも争う。昭和二六年中利息の額のうち、次に述べるもののほかは認める。

小沢ペタル株式会社、株式会社太陽社、堺機工株式会社、食満南北後援会、中田織次郎、日産自転車株式会社、朝日鋼機株式会社、以上の貸付先からは利息を全然受領していない。株式会社大阪サドル製作所から昭和二六年中に受領した利息は一〇万円以内、株式会社阪堺工業所からの同年中受領利息は六万円以内、サンチエン工業株式会社からの同年中受領利息は約三万円である。

二、原告の、知人からの借入金のうち他へ貸付けた金員に対する昭和二六年中の知人への支払利息が三六万八、四六〇円であるとの事実は争う。

三、原告の貸金債権のうち、昭和二六年一二月末日現在で回収不能となつたいわゆる貸倒金は、総額七四三万二、〇五〇円にものぼり、原告が同年中に収得した利息金の総額を超える。したがつて、この貸倒れによる損失を差引くと、原告の同年中の事業所得は皆無である。貸倒金の内訳は左のとおりである。

(貸付先)        (貸倒金額)

(1)  小沢ペタル株式会社    二、五六五、五五〇円

(2)  サンチエン工業株式会社  一、二二五、〇〇〇円

(3)  株式会社大阪サドル製作所 二、七七一、五〇〇円

(4)  堺機工株式会社        一五〇、〇〇〇円

(5)  中田織次郎          一〇〇、〇〇〇円

(6)  西久夫            一〇〇、〇〇〇円

(7)  河上音松            五〇、〇〇〇円

(8)  朝日鋼機株式会社       二〇〇、〇〇〇円

(9)  株式会社太陽社        一二〇、〇〇〇円

(10)  株式会社石橋商店       一五〇、〇〇〇円

以上合計             七、四三二、〇五〇円

回収不能とは、破産もしくは和議手続の開始、債務者の失そう、入獄、債務超過の状態が長く続き、事業再興の見込がないこと、天災地変または経済事情の急変による資力の喪失、その他右に準ずる事情の存在をいう。そして、原告の貸付先のうち前記一〇名は、それぞれ昭和二六年中に右事情のいずれかを有して、原告の債権を回収することができなくなつたものである。主なものを説明すると、次のとおりである。

(1)  小沢ペタル株式会社

同会社は昭和二六年春から操業不能の状態で、債務支払にあてる何らの資産もなく、同年末には材料、副材料、仕掛品等スクラツプとしての価値しかない総額二〇万円くらいの資産があつただけである。

(2)  サンチエン工業株式会社

同会社は、昭和二六年春不渡手形を出し、同年一一月にはすでに操業を停止していた。なお原告が同会社に対する貸倒れと主張する一二二万五、〇〇〇円の債権は、いずれも同年八月末頃手形をもつて金融したもので、同年中に支払期日が到来したものである。被告は同年中に弁済期未到来というが、これは書かえ手形の支払期日を把えて主張しているものである。

(3)  株式会社大阪サドル製作所

同会社に対する原告の貸倒金二七七万一、五〇〇円の明細は、同会社に対する貸付金一〇〇万六、五〇〇円、日産自転車株式会社振出の手形の割引によるもの七八万五、〇〇〇円、相宅金属工業株式会社振出の手形の割引によるもの五〇万円、岩田サドル製作所振出の手形の割引によるもの二九万円、前田金属工業所振出の手形の割引によるもの一九万円である。

大阪サドル製作所は昭和二六年一二月一〇日支払停止したが、それより早くから同会社の手形は事実上不渡りになつている。原告が自己の信用上同会社の手形を銀行取立にまわさなかつたので、表面に出なかつたのである。支払停止後債権者会議が開かれたが、成果なく散会したのであつて、被告主張のような弁済案が承認された事実はない。

日産自転車及び相宅金属振出の手形債権のうち、右両会社から被告主張のとおり一部弁済を受けたことは認めるが、他は両会社に対し放棄した。岩田サドル製作所は昭和二六年中に倒産し、経営者は行方不明となつた。

第五、貸倒金に関する被告の主張

原告は、昭和二六年中の貸倒金の総額が同年中の利息収入の総額を上廻るから、同年中の事業所得はないと主張するが、被告はこれを争う。昭和二六年中には、原告に貸倒損失は生じていない。

貸倒金とは、すでに弁済期を経過した債権で回収不能となつたものをいう。税務上回収不能とは、債務者の破産、和議、強制執行、整理、解散、事業閉鎖、死亡、失そう、刑の執行その他これに準ずる事情により債権の回収の見込がなくなつた場合及び債務者の資力喪失等のため債権者会議等において債権の放棄または免除を行つた場合をいい、この場合にのみその債権を貸倒金として損失に計上することができる。そして、ある年度において損失に計上することのできる貸倒金は、その年度中に当該債権について弁済期が到来し、かつ前記の回収不能の事実が生じたものに限る(権利確定主義または発生主義)。

原告が昭和二六年中の貸倒金であると主張する債権は、いずれも同年末現在において、弁済期が到来していないか、あるいは弁済期を経過していてもまだ回収不能と認めることのできる前記の事実のいずれも生じていないものである。したがつて、原告主張の各債権を昭和二六年中の貸到金と認めることはできない。以下原告主張の債権について貸付先毎に詳論する。

(1)  小沢ペタル株式会社

同会社は、昭和二七年三月一六日操業を停止して内整理に入り、同年八月一二日原告らから破産の申立がなされ、昭和二八年二月二五日大阪地方裁判所堺支部において破産宣告された。昭和二六年中は、原告に対しても第三者振出の手形と自己振出の小切手で元利金の弁済を続けており、更に昭和二七年二月五日利息として五万六、〇〇〇円、同月一三日及び二二日元金の内入弁済として各五万円を支払つている。よつて昭和二六年末までに回収不能が確定したとみるべき事実が生じていない。

(2)  サンチエン工業株式会社

同会社は、昭和二七年二月手形の不渡を出して操業を停止し、同年一〇月七日破産宣告を受けた。原告が同会社に貸付けた金員のうち、昭和二六年九月一五日及び一〇月二〇日に貸付けた合計九五万円の債権は同年一一月一五日から一二月二三日までの間に全部弁済を受けており、同年一二月二二日から昭和二七年一月一四日までの間に貸付けた合計一二二万五、〇〇〇円の債権は、いずれも昭和二六年末現在弁済期未到来である。よつて原告の同会社に対する債権が同年末までに回収不能となつた事実は認められない。

(3)  株式会社大阪サドル製作所

同会社は、昭和二六年一二月一〇日不渡手形を出したが、昭和二七年一月二一日開催の債権者会議で債務の支払猶予が認められ、昭和三〇年一二月末日までに一五回の分割払で全額支払うとの弁済案が承認された。会社は生産を継続して漸次軌道にのり、同年九月頃には債務完済の見通しもついた。

原告は、同会社が不渡り手形を出した以後である昭和二六年一二月一八日同会社に五〇万円を貸付け、昭和二七年二月に利息を含め五一三、三〇〇円を回収している。よつて昭和二六年末までに同会社に対する債権が回収不能となつたと認めるべき事実は生じていない。

なお、原告の同会社に対する債権のうちには、第三者振出の手形を同会社の依頼により割引いたことによる手形債権がある。この場合、各手形の債務者は同会社と手形振出人の二者であるから、この手形債権を昭和二六年中の貸倒金として損失に計上するためには、振出人についても同年中に回収不能の事実が確定したことを要する。ところが、各振出人について、いずれもその事実はない。

原告が大阪サドル製作所の依頼により割引いた手形の振出人は、次の六名である。それぞれ昭和二六年中に回収不能の事実が生じなかつたことを説明する。

(イ)  日産自転車株式会社

原告が大阪サドルの依頼により割引いた日産自転車振出の約束手形は六通、金額一四八万一、〇〇〇円であるが、そのうち五通の支払期日は昭和二七年一月一一日以降である。金額二三万五、〇〇〇円の一通のみが昭和二六年一二月一八日を支払期日とするものであるが、右手形について原告は同日内金七万円を日産自転車から弁済として受領している。日産自転車が整理に入つたのは昭和二七年六月である。

(ロ)  相宅金属工業株式会社

原告が大阪サドルの依頼により割引いた相宅金属振出の約束手形は二通で、うち一通金額三〇万六、〇〇〇円の支払期日は昭和二七年二月一二日であり、他の一通金額三二万円の支払期日が昭和二六年一二月二八日である。相宅金属は同年一二月一七日右手形金の代物弁済としてハンドル用鋼管六トンを原告に交付することを約し、そのうち一、二九四トンを原告に交付している。

(ハ)  岩田サドル製作所

原告が大阪サドルの依頼により割引いた岩田サドル振出の約束手形は、昭和二七年一月三〇日を支払期日とする金額二九万円の一通だけである。

(ニ)  前田金属工業所

原告が大阪サドルの依頼により割引いた前田金属振出の約束手形は、昭和二七年一月一一日を支払期日とする金額一九万円の一通だけである。

(ホ)  株式会社太陽社

原告が大阪サドルの依頼により割引いた太陽社振出の約束手形は、昭和二七年一月一七日を支払期日とする金額二〇万円の一通だけである。

(ヘ)  株式会社石橋商店

原告が大阪サドルの依頼により割引いた石橋商店の約束手形は、昭和二七年一月一四日を支払期日とする金額二五万円のものと、同月二五日を支払期日とする金額二二万円のものの二通だけである。

(4)  堺機工株式会社

同会社は昭和二九年三月現在、従業員約三〇名を有して紡績機械類を生産しているから、昭和二六年末においても支払能力があつたと認められる。

(5)  中田織次郎

同人は、昭和二七年四月八日現在において原告に対する借入金債務を支払う意思及び能力を有する。昭和二六年中に同人に対する債権が回収不能になつたと認めることのできる事実はない。

(6)  朝日鋼機株式会社

原告が昭和二六年八月二一日朝日鋼機に貸付けた二〇万円のうち、七万五、〇〇〇円は、同年一〇月五日商品を代物弁済として受領し、残額一二万五、〇〇〇円については、同年中に回収不能になつたと認めることのできる事実はない。

(7)  西久夫

(8)  河上音松

原告が右両名に対して金を貸した事実は知らない。仮にその事実があるとしても、原告は、右両名があまり困つていたのに同情して各一回だけ無利息で貸したのであるから、この貸付けは原告の貸金業の事業活動の範囲に属しない。したがつて、たとえ右貸金が回収不能になつたとしても、原告の事業所得の計算上必要経費として損失に計上することはできない。

第六、証拠〈省略〉

理由

第一、訴外堺税務署長が、昭和二七年四月二二日原告に対し、原告の昭和二六年分所得及び所得税に関して、原告の請求原因二項記載のとおりの更正決定をしたこと、原告の審査請求に対し、被告が昭和二八年一一月一〇日右審査請求を棄却するとの決定をしたことは、当事者間に争いがない。

原告は、右審査決定により維持された更正決定のうち、事業所得及び不動産所得の額の認定並びに無申告加算税及び重加算税の課税を争い、審査決定の取消を求めるので、以下順次判断する。

第二、不動産所得について。

原告が堺市北田出井町に四戸、同市九間町に五戸の貸家を所有していることは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第三号証及び第七七号証によると、九間町所在の貸家五戸による原告の昭和二六年中の家賃収入は、同年一月から三月までは毎月合計一、〇二〇円、同年四月から一二月までは毎月合計一、四七〇円であつたことが認められる。成立に争いのない乙第一一号証及び第六九号証中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

成立に争いのない乙第一号証の二、第四、第一一、第七六号証によると、北田出井町所在の貸家四戸による原告の同年中の家賃収入は、毎月合計二、四〇〇円であつたことが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、原告の同年中の家賃収入は、九間町所在の五戸によるものが一万六、二九〇円、北田出井町所在の四戸によるものが二万八、八〇〇円、合わせて四万五、〇九〇円である。右貸家九戸に関して、同年中に原告が支出した経費が、固定資産税七、九〇〇円及び修繕費二万〇、二〇〇円であることは、当事者間に争いがない。よつて、原告の同年中の不動産所得は一万六、九九〇円である。

45,090円-(7,900円+20.000円)=16,990円

すると、原告の同年中の不動産所得を二万一、〇〇〇円と認定した審査決定のうち、右一万六、九九〇円を超える部分は、認定を誤つたものといわねばならない。

第三、事業所得について。

一、原告が多数の者に対し多額の金額を利息を得て反覆貸付けていたものであることは、原告の明らかに争わないところであるから、自白したものとみなす。したがつて原告は金融業を営んでいたものというべく、その業務は所得税法上の事業にあたるものというべきである。

二、利息収入について、

(一)  原告が、昭和二六年中、別表記載の貸付先のうち28の小沢自転車製作所を除くその余の貸付先に対し、手形割引等の方法で金員を貸付けていたことは、当事者間に争いがない。また、別表記載の貸付先のうち、1、小沢ペタル株式会社、3、株式会社大阪サドル製作所、5、株式会社阪堺工業所、6、サンチエン工業株式会社、15、株式会社太陽社、17、堺機工株式会社、25、食満南北後援会、27、中田織次郎、28、小沢自転車製作所、29、日産自転車株式会社、30、朝日鋼機株式会社、以上一一名を除くその余の貸付先から、原告が昭和二六年中に得た利息の金額が、それぞれ別表の該当欄に記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。この争いのない利息金額の合計は、二六二万〇、四〇三円六七銭である。

(二)  当事者間に争いのある利息収入について順次判断する。

なお、所得税法は、所得の計算上いわゆる発生主義ないし権利確定主義をとつているから、同法第九条一項四号にいう「その年中の総収入金額」とは、その年中に収入する権利の確定した金額の合計額をいう。現実に支払を受けた金額の合計額ではない。利息は元本使用の対価であるから、利息債権の確定時期は、利息の弁済期であると解するのが相当である。したがつて、元金弁済期を定めただけで特に利息弁済期を定めなかつたときは、おそくとも元金の弁済期に利息の弁済期が到来するものと解すべきであつてその時に利息債権及びその額が発生・確定し、その年度の利息収入が生じたものというべきである。同様に、手形貸付による場合に手形の書かえをしたときは、旧手形の支払期日までの利息額を新手形の金額に組入れなかつた場合は勿論、その利息額を元本額に組入れた額をもつて新手形の金額とした場合も、その組入れ及び新手形の支払期日にかかわりなく、従前の利息債権は旧手形の支払期日に発生・確定し、その年度の利息収入が生じたものというべきである。他方、貸付に際して利息を天引したときは(俗に手形割引と称する貸付の場合またはいわゆる手形交換により貸付の相手方に交付すべき融通手形の金額相当の金員を貸付けたものとし、相手方からは右貸付額に利息額を加算した金額の手形を受取る場合を含む。)、貸付けと同時に貸付金額の返還請求権が発生するものであるから、その時点において天引利息債権は発生・確定し、その年度の利息収入が生じたものと解すべきである。

以下右の見解に立つて、個別に原告の利息収入額を判断する。

(1) 小沢ペタル株式会社

成立に争いのない乙第一六、第七五号証、証人小沢好次の証言により真正に成立したことが認められる乙第九〇号証及び同証人の証言によると、原告は小沢ペタル株式会社に対し、昭和二五年一二月六日から昭和二六年一二月三〇日までの間に、累計一、一三七万七、七一〇円を貸付け、その利息として同年中に収入すべく確定した金額は一四三万二、八六三円であることが認められる。すなわち、乙第九〇号証には、昭和二六年中の支払利息として合計一四一万三、一六二円と記載されている。ところが、同証拠によると、そのうち昭和二五年一二月六日貸付の五〇万円に対する昭和二六年一月七日支払の利息として、九、三三三円と記載されているが、これは同月一日から七日までの七日間の利息として算出した金額であることが認められ、実際には、同月七日にその日までの一ケ月分の利息として四万円を支払つていることが認められる。そして、その後も一ケ月毎に同額の利息を支払つていることが認められるので、右貸付金の最初の利息弁済期は同月七日と認めることができる。そうすると、右最初の利息四万円は、全部昭和二六年中の利息収入というべきである。

また、昭和二六年一二月三一日貸付の二〇万円に対する利息四六六円及び同月三〇日貸付の三五万円に対する利息一万〇、五〇〇円は、いずれもその支払期日がそれぞれ昭和二七年二月一日、一月一二日である旨記載されているから、昭和二六年中の利息収入とは認められない。

よつて、一四一万三、一六二円に、四万円と九、三三三円との差額すなわち三万〇、六六七円を加え、これから四六六円及び一万〇、五〇〇円を差引くと、一四三万二、八六三円となる。これが同年中の利息収入である。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

よつて、原告の小沢ペタル株式会社からの同年中の利息収入を、右金額より少ない一四一万三、一六二円であるとする被告の主張は正当である。

(2) 株式会社大阪サドル製作所

成立に争いのない乙第二二、第七二号証、証人山本公男の証言により真正に成立したことが認められる乙第八九号証によると、原告は大阪サドル製作所に対し、昭和二六年二月一九日から同年一二月七日までの間に累計一、五五六万八、七五〇円を貸付け、その利息として同年中に収入すべく確定した金額は一四五万四、三三〇円であることが認められる。すなわち、乙第八九号証によると、右貸付元金に対する利息金額の累計は一四八万四、三三〇円であることが認められる。そして、同証拠中「未経過利息計算」と題する一覧表によると、昭和二六年中に借入れ、その弁済期が昭和二七年中に到来するものについて、同年一月一日から各弁済期までの利息をそれぞれ日割計算し、その総計二二万三、六一五円二〇銭を未経過利息としており、昭和二六年度においては未発生のものとしているのであるが、同一覧表に記載されている借入金の利息は、昭和二六年一〇月三一日借入れの一〇〇万円に対する利息のうち約束手形による支払の三万円を除き、その余はいずれも借入れの際(昭和二六年中)天引され、または交換手形の額面金額に加算して原告に交付したものであることが認められるから、これらは昭和二六年中の利息収入というべきである。一〇月三一日借入れの一〇〇万円に対する利息のうち三万円のみは、昭和二七年二月五日支払期日の約束手形で支払われるべきものとされていることが認められるので、昭和二六年中の利息収入とは認められない。そこで、前記一四八万四、三三〇円から三万円を差引いた一四五万四、三三〇円が昭和二六年中の利息収入である。右認定を左右するに足りる証拠はない。

よつて、原告の大阪サドル製作所からの同年中の利息収入を、右金額より少ない一二六万〇、七一四円八〇銭であるとする被告の主張は正当である。

(3) 株式会社阪堺工業所

成立に争いのない乙第三二、第七四号証、証人山本公男の証言により真正に成立したことが認められる乙第八四号証によると、原告は株式会社阪堺工業所に対し、昭和二六年三月三一日から同年一二月三〇日までの間に累計一九六万〇、五一二円を貸付け、その利息として同年中に収入すべく確定した金額は二五万〇、五一二円であることが認められる。乙第八四号証によると、同年一二月三〇日貸付の二六万五、〇八〇円に対する利息六万五、〇八〇円は、同日天引したことが認められるので、この金額は同年中の利息収入というべきであつて、これと同号証記載の同年中の利息一九万六、三六二円とを合算した二五万〇、五一二円が同年中に発生した利息というべきである。右認定を左右するに足りる証拠はない。

よつて、原告の株式会社阪堺工業所からの同年中の利息収入を、右金額より少ない一九万六、三六二円であるとする被告の主張は正当である。

(4) サンチエン工業株式会社

成立に争いのない乙第一八号証及び第一九号証によると、原告は、サンチエン工業株式会社に対し、昭和二六年九月一五日から同年一二月二二日までの間に累計一四九万二、〇〇〇円を貸付け、その利息として同年中に収入すべく確定した金額は一五万二、〇〇〇円であることが認められる。被告はこれを一六万三、三四〇円と主張する。この差額一万一、三四〇円は、被告において、同年一二月二二日貸付の二五万円及び二〇万円に対する同日から同月三一日までの日割計算による利息額を同年中の利息収入としたためと推定されるが、乙第一九号証によると、右二口の貸金の利息は、サンチエン工業株式会社振出の手形で支払われることとなつており、その支払期日は昭和二七年二月二三日及び同年三月二三日であることが認められるから、右二口の貸金に対する原告の利息収入は昭和二七年の収入に属し、昭和二六年中の利息収入に入らないものというべきである。以上認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 株式会社太陽社

成立に争いのない第三九号証によると、原告は株式会社太陽社に対し、昭和二六年八月一五日から同年一二月二四日までの間に、手形七通の割引の方法により六五万円を貸付け、割引料(天引利息)として同年中に収入すべく確定した金額は九万一、〇〇〇円であることが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

よつて、原告の株式会社太陽社からの同年中の利息収入を、右金額より少ない三万七、七二〇円であるとする被告の主張は正当である。

(6) 堺機工株式会社

原告が堺機工株式会社に対し金銭を貸付けたことを認めうる証拠はないが、成立に争いのない乙第二九号証によると、原告は昭和二六年九月一一日右会社の代表者である尾崎喜一郎に対し、金額一五万円の手形を割引し、同日割引料として三万二、六七〇円を差引き現金一一万七、三三〇円を尾崎に交付したことが認められる。したがつて、右三万二、六七〇円は原告の同年中の利息収入であるということができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

(7) 食満南北後援会

成立に争いのない乙第四八号証によると、原告は、昭和二六年八月二九日堺市出身の劇作家を後援する食満南北後援会と称する団体に対し一五万円を貸付け、同年一〇月二九日利息として一万五、〇〇〇円を受取つたことが認められる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(8) 中田織次郎

成立に争いのない乙第五二号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は中田織次郎に対し、昭和二六年三月二三日頃金額一〇万円の手形を割引し、同日割引料として七、一六六円を差引き現金九万二、八三四円を同人に交付・貸付けたことが認められる。したがつて、右七、一六六円は原告の同年中の利息収入であるということができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

(9) 小沢自転車製作所

証人山本公男の証言により真正に成立したことが認められる乙第八七号証によると、原告は小沢自転車製作所に対し、昭和二六年一一月二三日と同年一二月三〇日の二回にわたり合計四四万五、五九九円をいずれも利息を天引して貸付けたこと、その天引した利息額は合計四万四、一七〇円であることが認められる。したがつて、右四万四、一七〇円は原告の同年中の利息収入であるというべきである。右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告の小沢自転車製作所からの同年中の利息収入を、右金額より少ない一万二、二八九円五〇銭であるとする被告の主張は正当である。

(10) 日産自転車株式会社

証人山本公男の証言により真正に成立したことが認められる乙第八六号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は日産自転車株式会社に対し、昭和二六年六月二五日金額四〇万円の手形を割引し、同日割引料として四万二、〇〇〇円を差引いたことが認められる。したがつて、右四万二、〇〇〇円は原告の同年中の利息収入であるということができる。

右認定を左右するに足りる証拠はない。

(11) 朝日鋼機株式会社

証人山本公男の証言により真正に成立したことが認められる乙第八五号証によると、原告は朝日鋼機株式会社に対し、昭和二六年三月五日から同年八月二一日までの間に累計九〇万円(弁済期間同年五月五日から一〇月五日までの間の期日)を貸付け、その利息として同年中に収入すべく確定した金額は一二万三、五〇〇円であることが認められる。

右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  以上をまとめると、原告の昭和二六年中の利息収入は、次のとおりである。

当事者間に争いのない部分 二、六二〇、四〇三円六七銭

小沢ペタル株式会社    一、四一三、一六二円

株式会社大阪サドル製作所 一、二六〇、七一四円八〇銭

株式会社阪堺工業所      一九六、三六二円

サンチエン工業株式会社    一五二、〇〇〇円

株式会社太陽社         三七、七二〇円

尾崎喜一郎           三二、六七〇円

食満南北後援会         一五、〇〇〇円

中田織次郎            七、一六六円

小沢自転車製作所        一二、二八九円五〇銭

日産自転車株式会社       四二、〇〇〇円

朝日鋼機株式会社       一二三、五〇〇円

総額           五、九一二、九八七円九七銭

(各貸付先毎に認定した利息額が被告主張の利息額をこえる場合であつても、弁論主義の建前上被告主張の額によらざるを得ない。)

三、貸倒れについて。

所得税法上、ある年度に債権の貸倒れが生じたとして、その額を当該年度の損失に計上しうる場合は、その年度中に債権の弁済期が到来し、かつその年度中に債務者において、破産もしくは和議手続の開始、事業の閉鎖、失そう、刑の執行、債務超過の状態が長く続き衰微した事業を再建する見透しがないこと、その他これらに準ずる事情が生じ、債権の回収の見込のないことが確実となつた場合でなければならない。

以下、この標準にしたがつて、昭和二六年中原告に貸倒れ損失が生じたかどうかを順次判断する。

(1)  小沢ペタル株式会社

成立に争いのない乙第八、第一五、第一六号証、甲第三号証の二、三及び証人小沢好次の証言を総合すると、小沢ペタル株式会社は、昭和二七年三月五日支払を停止し、同月一六日頃操業を停止したこと、原告から破産の申立を受け、昭和二八年二月二五日破産宣告及び同時廃止の決定を受けたこと、昭和二六年中すでに資金難に陥り、赤字が漸次累積する状態にあつたが、同年五月二二日の株主総会においては、立直りを期待して増資による切抜け案が検討されたこと、同年一〇月末においてもなお同会社代表者である小沢好次は営業継続の希望的見透しをもつていたこと、昭和二七年二月五日原告からの借入金のうち八〇万円について、利息五万六、〇〇〇円を支払い、元金は手形の書かえにより継続の措置を得ていること、同月一三日及び二二日、原告からの借入金のうち前記以外の分に対する内入弁済として各五万円を小切手で支払つていること、以上の事実を認めることができる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前記各証拠に照らし採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によると、原告の同会社に対する債権は、昭和二六年末にはまだ貸倒れとして同年中の損失に計上しうる状態にはなつていなかつたものというのが相当である。

右認定と異なる、成立に争いのない乙第六八号証の原告に対する刑事判決の判断は当裁判所の判断を拘束するものではない。

(2)  サンチエン工業株式会社

成立に争いのない乙第八、第一八、第一九号証によると、同会社は昭和二七年二月支払を停止したこと、同会社の原告からの借入れは、昭和二六年九月一五日から昭和二七年一月一四日までの間に八口、合計二一七万五、〇〇〇円で、そのうちはじめの三口、合計九五万円は昭和二六年一二月二三日までに手形により原告に弁済ずみであること、原告が貸倒れと主張する一二二万五、〇〇〇円は、あとの五口の債権であつて、いずれもその弁済期は昭和二七年中に到来するものであることが認められる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。昭和二六年中の貸倒れとするためには同年中に貸金債権の弁済期が到来することが要件の一つであるから、右一二二万五、〇〇〇円の債権は同年中の貸倒れ債権と認めることを得ず、同年中に回収不能となつた債権はないことが認められる。

原告は、右一二二万五、〇〇〇円の債権は、昭和二六年中に一旦弁済期が到来したのを、手形の書かえをしたため、書換後の手形の支払期日が昭和二七年になつたものであるから、昭和二六年中の貸倒金になるべきものであると主張する。しかし、手形の書かえは通常弁済期を延期するために行なわれるのであるから、この場合には新手形の支払期日をもつて貸金債権の弁済期と解すべきである。右債権について昭和二六年中に弁済期が到来したとする原告の主張は採用できない。

(3)  株式会社大阪サドル製作所

成立に争いのない乙第二、第九、第二一、第二三号証、証人水軒孝之助の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

株式会社大阪サドル製作所は、昭和二六年中業績悪く、負債がかさみ、遂に同年一二月一〇日支払を停止した。その時債務総額は約四、〇〇〇万円であつた。同会社代表者水軒孝之助は会社の解散を決意したが、同月二四日開かれた債権者会議において、営業を継続させて債権の回収をはかる方が得策であるとの意見が大勢を占め、七名の債権者委員を選任して委員会を作り検討した。その結果、会社は商号を大阪サドル製造株式会社と変更のうえ営業を続けることとなり、債務全額を昭和二七年七月一五日から昭和三〇年一二月末日まで一五回に分割して支払うとの弁済案が作られ、これが昭和二七年一月開催の債権者会議で承認された。かくて会社は操業を続けたが、利益はあがらず、同年四月末には、右弁済案の第一回弁済期を昭和二八年三月に延期した。その後生産が一時軌道にのりかけたこともあるが、原材料の仕入が当初の予想に反し円滑にできなかつたため業績振わず、昭和二九年まで操業を続けた末、結局会社解散のやむなきに至つた。その間右弁済案による弁済は全然なされずに終つた。以上の事実を認めることができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実の経過から判断すると、原告の同会社に対する債権は結局貸倒れとなつたが、それが確実となつたのは昭和二七年以降であつて、昭和二六年末現在ではまだ貸倒れとして損金に計上しうる状態には至つていなかつたものと認めざるをえない。

前出乙第六八号証は、右認定を左右すべき資料とならない。

よつてその余の点につき判断するまでもなく、原告の同会社に対する債権額を貸倒損失として昭和二六年中の所得額から差引くことはできない。

(4)  尾崎喜一郎(堺機工株式会社代表者)

成立に争いのない乙第八号証、第二九号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和二六年九月一一日尾崎喜一郎に対し、青木健祐振出、支払期日同年一一月一五日、金額一五万円の手形を割引いたこと、右手形が不渡りとなつたので、原告は同年末から昭和二七年はじめにかけて再三堺機工株式会社におもむき、尾崎に対し手形金額の支払を求めたが、尾崎はその都度不在だつたり、あるいは、しばらく待つてくれなどと言を左右にするばかりで払わず、そのうち同会社へ行つても尾崎に会えないようになり、他の者が「うちは関係ない。」などという始末で、原告も遂に根がつきて請求に行くのをあきらめたこと、以上の事実が認められる。そして、右認定事実以外に更に他の何らかの事実を認めることのできる証拠はない。

ところで、ある年度に貸倒損失が生じた場合は、その年度の所得額の算定に当つてその損失を控除すべきものであるから、所得の発生要件事実を構成する貸倒損失の有無につき争いがある場合には、所得の一定額の存在を主張する課税庁側で、当該年度に貸倒損失がないことを立証すべき必要及び責任がある。しかしながら、貸倒損失は、通常の必要経費と異なり、異例の事実である。合理的経済人たる取引当事者は、取引に際し、自己の債権の回収見込に対して十分の注意を払い、かつ合理的な判断を下しているのが通常で、これにより大多数の取引は円滑に進展し処理されているのである。したがつて、ある取引がなされた場合、それによつて生じた債権は、その債務者たる企業者において外形上企業活動を継続している限り、つまり破産等の前示特別の事情の認められない限り、回収可能であることが事実上推定されるものと解すべきである。税務訴訟の過程においては、このような特別の事情は、納税者側で、反証をもつて右事実上の推定を覆えすべき必要があると解するのが相当である。

原告の尾崎に対する債権に関し、前記認定事実をもつては、いまだ昭和二六年中における貸倒れの不存在の推定に対する間接反証とするには足りない。よつて右債権は同年中に貸倒れとならなかつたものと認めざるをえない。

(5)  中田織次郎

成立に争いのない乙第五二、第五三号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は中田織次郎に対し、昭和二六年三月二三日頃金額一〇万円、同年四月二四日支払期日の第三者振出の手形を割引いたが、右手形は不渡りとなつたこと、その後昭和二七年秋までの間、原告は中田に対し右手形金の支払を再三督促し、その間分割弁済の話合もなされたが、結局中田は全然支払わないまま同年秋頃行方不明になつてしまつたこと、以上の事実が認められる。そして、右認定事実以外に更に他の何らかの事実を認めることのできる証拠はない。右事実をもつてしては、原告の中田に対する右債権が昭和二六年中に貸倒れとならなかつたことに対する反証とするには足りない。よつて、右債権は同年中に貸倒れとならなかつたものと認めるべきである。

(6)  西久夫

(7)  河上音松

原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二六年三月頃大阪自転車卸協同組合事務員西久夫に対し一〇万円、同年四月頃自転車ブローカー河上音松に対し五万円をそれぞれ貸付けたこと、西久夫はその直後名古屋方面へ夜逃げして行方不明になつたこと、河上音松は同年中に廃業したこと、以上の事実が認められる。したがつて、右事実は、一応原告の債権が同年中に回収不能になつたことを推測させる。これをくつがえし、右各債権が同年中に回収不能とならなかつたことを認めるに足りる証拠はない。原告が西及び河上の窮状に同情して無利息で貸したからといつて、その貸金が原告の貸金営業活動の範囲に属さないということはできない。よつて右債権合計一五万円は、原告の昭和二六年中の貸倒損失として、所得から控除すべきである。

(8)  朝日鋼機株式会社

原告は、同会社に対する貸倒金を二〇万円と主張するが、前出乙第八五号証によると、同会社は昭和二四年一一月二二日から昭和二六年八月二一日までの間に一三回にわたり合計二二〇万円を借入れ、最後に借りた二〇万円を除く二〇〇万円は各弁済期日に弁済し、最後の二〇万円のうち七万五、〇〇〇円を同年一〇月五日商品をもつて代物弁済し、昭和二七年三月三一日現在残債務は一二万五、〇〇〇円であることが認められる。右の弁済経過に照らすと、原告本人尋問の結果は、右一二万五、〇〇〇円の残債権が昭和二六年中に回収不能にならなかつたことに対する反証とするには足りず、他に右反証とするに足りる証拠はない。よつて右債権は同年中に貸倒れとならなかつたものと認めるべきである。

(9)  株式会社太陽社

成立に争いのない乙第八、第三九号証によると、昭和二七年三月一日同会社の債権者会議が開かれ、その債務の分割弁済の計画がたてられたことが認められ、同会社に対する原告の債権は、昭和二六年中には回収不能の状態になかつたことが推定される。前出乙第六八号証は、右認定を左右すべき資料とならない。

(10)  株式会社石橋商店

成立に争いのない乙第九、第六二号証によると、原告の同会社に対する二口の債権二二万円及び二四万円の弁済期は、昭和二七年一月一四日及び同月二五日であつたが、同会社はその頃これを分割払する旨約し、支払方法として約束手形を振出したことが認められる。そして、右二口のほかに原告が同会社に対し債権を有することを認めるに足りる証拠はない。よつて、原告の同会社に対する債権は昭和二六年中に貸倒れとなつていないことが推定される。

以上認定したところをまとめると、原告が主張する貸倒損失のうち昭和二六年中の貸倒損失と認められるのは、西久夫に対する一〇万円及び河上音松に対する五万円、計一五万円だけである。原告のその余の主張は採用できない。

四、経費について。

成立に争いのない乙第五四ないし第五九号証によると、原告が貸付資金として知人から借入れた金員に対し、昭和二六年中に支払いまたは支払うべく確定した利息の金額は、次のとおりであることが認められる。

(借入先)     (支払利息)

寺山安松      一七五、四六〇円

橋本為保       五〇、〇〇〇円

島野末雄       九〇、〇〇〇円

伊藤道次(仲介者)  五〇、〇〇〇円

計         三六五、四六〇円

右認定を左右するに足りる証拠はない。右三六万五、四六〇円は、原告の貸金営業の必要経費と認められる。

五、事業所得についての結論。

以上をまとめると、原告の貸金業による昭和二六年中の事業所得は、次のとおりとなる。

利息収入 五、九一二、九八七円九七銭

経費   三六八、四六〇円(前示認定の三六五、四六〇円をこえるが、被告主張額による。)

貸倒損失 一五〇、〇〇〇円

事業所得 五、三九四、五二七円九七銭

5,912,987円97銭-(368,460円+150,000円)=5,394,527円97銭

第四、所得総額

よつて、原告の昭和二六年中の所得総額は次のとおりとなる。

事業所得  五、三九四、五二七円(端数切捨て)

給与所得    三九〇、〇〇〇円

配当所得      八、〇〇〇円

不動産所得    一六、九九〇円

合計    五、八〇九、五一七円

原告の同年中の所得総額を五、九五九、六八七円とした被告の本件審査決定中、右五、八〇九、五一七円をこえる部分は違法であるから、取消しを免れない。

第五、無申告加算税及び重加算税の課税処分について。

昭和二六年分所得税の確定申告期限は、昭和二七年二月末日である(昭和二八年法律第一七三号によつて改正される以前の所得税法第二六条)。

成立に争いのない乙第七、第八、第一四、第二二、第二四、第七〇、第七二号証によると、原告は、昭和二六年分所得税の確定申告期限が昭和二七年二月末日であることを知りながら、右期限内に確定申告書を所轄税務署に提出しなかつたこと、貸金営業による利息収入については、その営業が貸金業等の取締に関する法律にもとづく届出をしていない、いわゆる闇金融であつたため、これを秘して事業所得としての申告をせず、申告する意思も有しなかつたこと、原告は架空人名義の預金をしたり貸付先に対し架空人名義で、かつ架空取引名義で貸付をしたりしていたことが認められる。成立に争いのない乙第六、第一二、第六九号証及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

本件無申告加算税及び重加算税の課税処分は適法であつて、原告の主張は採用できない。

第六、結論

よつて、本件審査決定は、原告の昭和二六年分所得額を五九五万九、六八七円とした部分のうち、五八〇万九、五一七円をこえる部分について違法であるから、この部分を取消すこととし、その余の部分はすべて適法であるから、原告のその余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条ただし書きを適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山内敏彦 高橋欣一 小田健司)

(別表省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例